【映画】『グラディエーター』から学ぶ【生きる理由】

コロッセオ

突然だが僕は映画が好きだ。

おまけに同じ作品を何度も見てしまう性質である。

と言うわけで、今回はラッセル・クロウ主演の『グラディエーター』について語りたいと思う。

この作品を鑑賞するのは久しぶりのことなので、三十路を超えた今、同作品に対してどんな感想を抱くのだろうかとワクワクしていた。

結果的にマキシマスコールが部屋中に響き渡ったわけだが。

『グラディエーター』概要

リドリー・スコット監督が放つスペクタクル活劇。古代ローマ帝国を舞台に、陰謀に陥れられた英雄騎士の死闘をダイナミックに描く。無敵の剣闘士役を演じた、ラッセル・クロウが秀逸。また、CGで描かれた巨大コロシアムや剣闘シーンの迫力映像も見どころ。西暦180年、皇帝に絶大な信頼を置かれていた歴戦の勇者マキシマスは、次期皇帝の任を依頼される。しかしその晩、皇帝は息子によって暗殺。罠にはまったマキシマスは、処刑の危機に陥る。

Yahoo!映画より

ヤフーのあらすじや動画ではイマイチわかりづらいと思うので捕捉。

偉大なるローマ皇帝アウレリウスは、死期が間近に迫っていることを感じていた。彼はローマの未来を見据え、血の繋がりはないが実力と人望を持ち合わせるマキシマス将軍に帝位を譲ることを決断する。

しかしそれを知った皇帝の息子コモドゥスは、マキシマスに対して激しい嫉妬心を抱くと同時に、父を殺害してしまう。

そうして皇帝となったコモドゥスは、即座にマキシマス処刑の命を下した。

間一髪ピンチを切り抜けたマキシマスは、遠く離れた故郷へほぼ不眠不休で馬を走らる。が、時すでに遅く、妻子は無残に殺されてしまっていた

吊るされた妻子を目の当たりにし、生きる気力を失ったは彼は奴隷となってしまう。

そして剣闘士(グラディエーター)となったマキシマスは、闘いのなかに生きる意味を見出していく

『グラディエーター』見どころ

単純明快なストーリー

老皇帝アウレリウスは偉大であり、その子コモドゥスは絵に描いたような愚息だ。マキシマス将軍は勇敢で素朴で、何よりも家族を愛している。ほんのわずかしか出番のない彼の妻子は、実に健全に描かれている。

故に我々は、嫉妬心から父と何の罪もないマキシマスの妻子を殺したコモドゥスを完全なる悪だと見做すことができるのである。

そしてマキシマスの絶望に共感し、彼の奮闘を心から応援したくなるのだ。

リアリティのある剣闘シーン

僕は古代ローマ帝国を見たこともなければ、イタリアに行ったこともない。剣術の心得も無ければ軍人でもない。

だがこの映画はとてもリアルだと感じる

セットやCGの出来も見事なのだろうが、なにより目を惹くのは剣闘シーンだ。

マキシマスは強い。とにかく強い。だが、あくまで訓練を積んだ人間なのだ。

華麗な剣技を披露する一方で、しっかり剣の重量が考慮されている点にリアリティを感じることができる。そう、剣は重いものなのである。故にその時なにが起こっているのか、目で追うことができるのだ。

『ブレイド』や『座頭市』のような超人的な剣捌きも興奮するが、マキシマスの人間的な動きも実に魅力的だ。

マキシマス

何と言っても一番の見どころは主人公のマキシマスだ。

ローマ帝国の将軍という地位にも関わらず、彼は農家出身故の純朴さを持ち続けている

武に長け、圧倒的なカリスマ性を持ち合わせているが、彼に野心はない。唯一の願いは田舎で暮らす家族のもとに帰ることだ。

義理堅く、当然のように身を挺して仲間を助けることができる。基本的に寡黙だが、怒りや悲しみや他人に対する情は隠さず表現する。

人は彼のような純粋さに気高さを感じ、魅かれるのだろう。

この映画を観終わった頃には、きっとマキシマスのことが好きになっているはずだ

メンヘラ的見どころ(ネタバレあり!!)

僕にとっての見どころは大きく分けて3点ほどあった。

・コモドゥスの苦悩と歪み

・皇帝アウレリウスの息子への抱擁

・マキシマスの解放

コモドゥスの苦悩と歪み

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綺麗な石原良純コモドゥスは疑いようのない悪役である。父を殺し皇帝となり、父や姉の寵愛を受けていたマキシマスを処刑しようとし、その家族を残虐な方法で殺害。姉へ歪んだ愛情を抱き、他人の命などなんとも思わない自己中野郎

こんな奴が近くにいたら怖くて堪らないと思う。

だが今回改めて観るとそこまで深い憎しみを覚えなかった。それはコモドゥスが心に深い傷を負っているのを感じたからであろう。

父アウレリウスがマキシマスへ帝位を譲る旨をコモドゥスへ伝えるシーンは特に印象的だ。

天幕に呼ばれたコモドゥスは、その場に安置されていた父の胸像の前で待っていた。やがて皇帝本人が後ろから現れる。アウレリウスはあえてコモドゥスに帝位を継ぐ覚悟を尋ね、コモドゥスは喜んで大任を引き受けると応えるが、告げられたのは帝位をマキシマスに譲るという内容であった。
自身にその理由や共和政移行の大義を説く父に対し、コモドゥスは以前にアウレリウスから送られた手紙について話し始める。手紙には皇帝に必要な「徳」(正義・知恵・不屈・自制)が書かれていたが、コモドゥスに備わる徳(野心・策謀・勇気・献身)は何処にも書かれていなかった。それはまるで自分を息子と認めたくないかのようだったとのコモドゥスの言葉に、アウレリウスは穿った考えだと否定する。しかしコモドゥスは自分は父親が誇りに思える息子になりたかったと告げ、なぜ自分を憎むのかと涙を流す

Wikipediaより

このやり取りには些か胸が苦しくなった。

親子として最大にして最後の愛情確認の砦である皇位継承の期待は脆くも打ち砕かれたのである。 取り乱し、「なぜ私に無い徳ばかり」と父に訴えるコモドゥス。このやりとりは全て本心であろう。

ありのままを認めてくれない父親、そのため心に出来た傷からくる歪みがコモドゥスを形作っているのだ。

それは姉からも愛されていたマキシマスへの嫉妬となる。そしてどれだけ策を練ろうとも、無残に死ぬどころか民衆からの支持を得ていく彼を目の当たりにしたコモドゥスの嫉妬心は暴走していく。

コモドゥスからはかなり幼稚な印象を受ける。あまりにも未熟で不安定なコモドゥスを皇帝にすることなどありえない選択なのだろう。

しかし、だからと言って彼の描くローマの未来像が必ずしも間違っていたというわけではないと思う。 結果的にローマ帝国が滅亡したことを考えると、完璧な未来図など存在しなかったのではないだろうか。

つまりコモドゥスをかなり早い段階で見切っていた節のあるアウレリウスの見方が必ずしも正しいとは言えないのである。

今の僕はコモドゥスに対し憐憫の情を覚える。

皇帝アウレリウスの抱擁

上記のやり取りを経て年老いたアウレリウスは自らの過ちに気が付く。息子が抱いていた苦悩にようやく気が付き、その歪みは自らが招いたことなのだと覚るのだ。

そして、「息子が至らぬのは、至らぬ父を持ったためだ」と言い抱擁する。言動から察するに、親子として愛情の籠った触れ合いはこれが初めてなのかもしれない。

だが既に歪み切っていたコモドゥスとの和解は叶わず、アウレリウスは息子に抱かれながら殺されてしまう。

心に負った傷、つまり愛着の傷は簡単に癒えるものではないのだ。

マキシマスが生きる理由

将軍時代、戦いに明け暮れたマキシマスは2年以上も妻子に会うことが叶わなかった。もしアウレリウスが存命でマキシマスが皇帝になっていたとしても、故郷への帰還は相当延びる予定だった。

そしてコモドゥスによって妻子が殺されてしまった以上、その願いは未来永劫叶うことがなくなってしまったのだ。

妻子を失ってからしばらくの間、マキシマスは生きる理由を失ってしまっていた。

それがやがて仇討という希望に向かって奮闘しだし、仲間を得て、民衆の支持を得てマキシマスはローマを変えることを決意する

だが同時に、彼はコモドゥスを討った後にはローマを去ると宣言する。

つまりこの決意はあくまで忠誠を誓う故アウレリウス皇帝やローマのためであり、マキシマス自身の願いではないのである。

では真に彼を駆り立てるものは何なのだろうか。

それは憎しみや悲しみ、そして将軍時代から続く戦いの日々からの解放ではないかと思う。だがそのために自ら死を選ぶ選択をしなかったのは、いつか妻子と再会するとき、胸を張っていたいという思いからではないだろうか。

僕はそう思う。