どうも、しーたです。
今回は「自己成就予言」という現象について学びたいと思います。
本題に入る前に1つ質問です。
相手の考えていることがなんとなくわかるという方はいますか?
ハッキリわかるという方、ボンヤリだけどわかるという方、いますよね?
程度の差はあれ、相手の感情を感じ取りやすい人間は存在します(HSPと言われています)。HSP自体は5人に1人ほどの割合なので、薄っすらと感じ取れるくらいの人なら割といるはずです。
この感じ取る能力ですが、実際の精度はどの程度のものなのでしょうか。
以前僕が別のブログに書いた駄文をほぼコピーリライトしながら考えていきたいと思います。
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非モテコミットとは
さて、タイトルにある非モテコミットとは、かの有名な『僕は愛を証明しようと思う』の作中にで紹介されている、モテない男がついやってしまいがちな行動のことである。
本人は好意を抱いている相手に好かれたい一心で行っている行動でも、それが逆効果になる場合があるのだ。
この本のなかで非モテの主人公がモテの師匠たるキャラクターからこう言われる。
「非モテコミットというのは、お前みたいな欲求不満の男が、ちょっと優しくしてくれた女を簡単に好きになり、もうこの女しかいないと思い詰めて、その女の事ばかりを考え、その女に必死にアプローチすることだ」
『僕は愛を証明しようと思う』 より
これ、非モテとしては物凄くわかりみが深い。つーか耳が痛い。
男に限ったことではないと思うが、モテない人間は笑顔で優しくされると簡単に落ちる。
この非モテコミットに陥っている人間は、相手の言うことを何でもきいたり、必要以上に食事を奢ったりプレゼントをあげたり、終いには自分のステータスを面接ばりにアピールしたりする。
ここでポイントとなるのは、本人は一途なつもりでも実際はとんでもなく独りよがりだという点である。
これらの行動は相手のためにしているのではない。
自分をよく見せたくてしているのだ。
相手の立場に立つとか、相手のことを思いやるとか、そういったこととは対極に位置する状態と言える。
あくまでヤリたい愛されたいという願望からくる行動なのである。
自己成就予言とは
我々メンヘラがやらかしがちな非モテコミットに自己成就予言というのがある。
正確には上述の非モテコミットとは意味合いが違うのだが、フラれるという結果を共通点として語りたい。
まず自己成就予言とは、意識的あるいは無意識的に自己の予言や主観的期待に沿うような結果を生じさせる行動をとったため、その通りの結果が出現する現象である。
つまり「思っていたら本当のことになってしまった」ということだ。
メンヘラ諸君には身に覚えのある方も多いだろう。
「どうせ最後には捨てられる」
「絶対いつか浮気される」
「自分は誰にも愛されない」
パートナーもしくは友人に対してこんなことを思ったり言ったりしたことがないだろうか。
僕は何度もある。
で、結果的にフラれたり浮気されたりして、
「いつかこうなると思ってたんだ!!!最初からわかってたし!!!」
なんて言ってしまったことはないだろうか。
僕はある。ちなみに言われたこともある。
なぜこんなことが度々起こるのか。
・相手の性格や容姿、周辺の環境などを分析し、そうなる可能性が高いと判断している 。
・今までの経験と照らし合わせてそうなる可能性が高いと判断している。
・直感的なものが優れている。
・運がものすごく悪い。
自分の経験から今思いつく限り列挙するとこんな感じだ。
それぞれ間違っていないと思うし、様々な要素が絡み合っているのだろう。
あるいは自罰的に無意識のうちにそんな相手を選んでしまっている場合もあると思う。絶望的に見る目がない人もいるだろう。浮気されたなら道徳的に相手が悪いとも思う。
だが毎度毎度そうなるのは間違いなく自分にも非がある。見る目がないなら養った方がいい。
無論勘違いしてほしくないのは、
「自分はダメだから愛されるはずがないんだ」
という話ではないということだ。
ここで元スタンフォード大学の教授、ウォルター・ミシェルの著書『マシュマロ・テスト』に登場する例を紹介しよう。
この例にはビルという高い拒絶感受性(RS)を有するバツ3の男性が登場する。
(※高RSの人は緊密な関係にある相手から拒絶されるのを極端に恐れる傾向がある。そして見捨てられることを過度に心配した結果、自らの行動を通してその拒絶を誘うことがよくある。)
三度目の結婚が破綻すると、彼は落ち込んで不安になり、セラピストに相談してみた。最後の離婚の理由を説明しながら、彼は別れた妻の「誠実さの欠如」について、腹立たしそうに訴えた。彼に言わせれば、その「証拠」は、典型的な朝食のエピソードから始まる。ビルの話では、彼は毎朝食事のとき、言葉を交わして心を通いあわせたいのに、妻はいつも寝ぼけ半分だったという。熱心に耳を傾けるどころか、あくびをし、目を閉じ、顔をそむけて新聞の見出しを眺めたり、テーブルの花を手直ししたりさえする。彼が不平を言っても反応がないように感じられ、その冷淡な振る舞いのせいで思わず「スクランブルエッグを投げつけた」ことがあるそうだ。
『マシュマロ・テスト』早川書房 ウォルター・ミッシェル著 柴田裕之訳 P177
ビルのような高RSの人は、自分が「本当に」愛されているかどうかですぐに頭がいっぱいになり、一人で思いを巡らせているうちに、見捨てられるのではないかという恐れが募り、ホットシステム由来の怒りと憤慨がさらにほとばしり始める。自分の苦悩やパートナーの不満そうな反応に応じて、彼らはあからさまに、あるいは受け身の攻撃性を見せて、さらに高飛車に出て、相手が自分の思うとおりに振る舞わないと気が済まなくなる。自分のすることをパートナーの行動のせいにし(「あいつのせいでスクランブルエッグを投げつけた」)、見捨てられる恐れが本物であることを、最初は勝手に想像した拒絶で、やがては自分の怒りが爆発したときに自らが招いた拒絶で裏づける。
同書 P177
最初は勝手に想像した拒絶で、という点が重要になる。
妻が寝ぼけ半分でいたのは気を許している証拠であったかもしれないのに、それを自分への愛が無くなったと勝手に解釈し行動したことで、ビルは結果的に妻の愛を失ってしまった可能性がある。
そもそも付き合いたてのカップルじゃあるまいし、生活を共にしていればこういった素の表情を見せるようになるのが自然ではないだろうか。
そしてそれは愛情の表れであるように思える。
メンヘラとして
などと偉そうに語ってみたものの、 僕は僕を愛してくれていた女性や親しかった友人にこんなことを繰り返していた。 (スクランブルエッグを投げつけたことはないが)
相手のほんの些細な言動から色々と邪推し、何度も不満を露わにした。
たとえ僕が内心の不安を表に出さないよう努めていても、思いやりのある相手であればあるほど、その気持ちは容易に伝わってしまった。
実際にされてみてわかったことだが、謂れのない疑いや嫉妬を向けられ続けるのはストレスでしかない。
最初のうちは可愛いなと思っていても、ストレスの負債は着々と積み重なっていくのだ。
降り積もったストレスはやがて爆発し、愛は終わりを迎える。
爆発せずとも、ふいに優しくしてくれる人が現れたらそちらに好意を抱くのは自然な成り行きではないかと思う。(でも浮気はダメです。傷つくんで!)
相手や自分の運命を呪う前に、視点を変えて自分の非モテコミットを見直してみるのも有効な手段ではないだろうか。
自分がどんな視点から物事を眺めているのか考える

ここまで以前書いたものをリライトしながら載せました。
繊細であったり敏感であるために相手の気持ちを察しやすい性質の人はいます。
ですがそれはあくまで憶測であるということを常に意識していた方が良いと思います。
メンヘラ傾向の人は自分と相手との境界線が曖昧である場合が多いからです。
相手の気持ちだと思っているものは、「自分のなかで創りあげた相手」のストーリーに過ぎなかったりするものです。
もし相手の考えを100%感じ取れる自信があるのなら、それはかなり高度な超能力です。
あるいは、相手がほんの5%だけ、自分に対する不満を抱いているとします。
それは例えばトイレの使い方であったり、遅刻癖があったりすることかもしれません。
ですが残りの95%は愛情なので、その欠点さえも受け入れ、心から愛しく思ってくれていたりするものです。
どんな不満があろうとも、相手はあなたを愛したいから愛しているのです。
にも拘わらず、その5%のみに焦点を当ててしまうと、相手にとっても自分にとってもいい結果にはなり得ません。
人間には無意識のうちに自分が見たいと望んでいるものを見てしまう性質があります。
故に相手が仕事のことで落ち込んで暗い顔をしているのに、自分のことで悩んでいるように見えてしまう場合があるのです。
それなのに相手を疑い、攻め続けてしまう。
そんな日々が続き破局に到ったとしても、それは予知や読心術の類ではなく、自らの行動が招いた結果に過ぎません。
向き合うべきは自分自身であり、現実世界のありのままの相手なのです。
不安に苛まれたときには、自分がどんな視点から物事を眺めているのか、冷静に考えてみることをおススメします。