「自分とは?」ヘルマン・ヘッセの生涯に学ぶ【アイデンティティ】の確立

自己の追求

ドイツの詩人であり小説家のヘルマン・ヘッセ

彼は生まれ持った繊細さと生育環境とのギャップから、アイデンティティ確立のために非常に困難な闘いを強いられた人でした。

彼が抱えてきた苦悩は人間が着飾ることを覚えて以来不変の悩みです。

ヘッセの生涯から「アイデンティティの確立」について学んでいきましょう。

ヘルマン・ヘッセとは

ヘルマン・ヘッセと言えば、国語の教科書に掲載されている『少年の日の思い出』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。内容的にもなかなか印象に残りやすい作品だと思います。

他にも『車輪の下』『デミアン』『シッダールタ』などが有名です。1946年にはノーベル文学賞も受賞しています。

ヘッセの作品はアイデンティティ(自分本位の人生)の確立が重要なテーマになっているものが多くあります。それは彼の生い立ちに関係があることは間違いありません。

幼少から頭脳明晰で周囲の期待を一身に受けて育ったヘッセ。ですが彼は天賦の才を持つと同時に、非常に繊細で多感な少年でした。

故にヘッセは自らの性(さがと周囲の期待とのギャップに苦しむようになります。

本来の自己と周りの期待とのギャップ。彼が抱えていたものは誰もが心の中に抱いている葛藤ではないでしょうか。

問題児扱いされた幼少期

ドイツの風景

ヘッセは1877年に南ドイツのカルプという小さな町に生まれました。カルプは自然に富んだ静かなところであるらしく、ヘッセ少年はその中で釣りや冒険などをしてのびのびと過ごしていたようです。

生地で過ごした期間は決して長くありませんが、カルプについて書かれた作品やモデルにしている描写が多く、ヘッセにとって故郷は特別な意味を持っていたと考えられます。

ところが自由を愛するヘッセが育ったのは、両親がともに宣教師という厳格な家庭。彼は聡明な子供でしたが、両親からは問題児扱いされていました。内気で意固地であるかと思えば、突然激しく怒ったり、物を盗んだり壊したり、嘘をついたりと、激しい性格だったためです。

彼は実に繊細で幼少から芸術的な才能の片鱗を見せていたですが、両親はその才能を評価しませんでした。なまじ頭が良いばかりに、両親はヘッセに対し牧師(当時のエリートコースらしいです)になるという未来を期待し、強要していたからです。

教育熱心な一方でヘッセの激しい性格に手を焼いた両親は、問題を起こすたび彼を男子児童寮に入れていました。この行為に対し感受性の強いヘッセは「家を追い出された」という思いを抱えてしまいます。 この思いは、難関の神学校受験を成功させるため家を出されラテン語学校へ転学させられたことによってさらに強まったようです。

厳しく躾けられたヘッセですが、味方となる存在もいました。彼の祖父はヘッセと同様の繊細さを有していた節があり、彼の行動に理解を示してくれていたようです。

祖父はそんな状況を冷静に見て、ヘッセの両親にこう述べている。「ふるまいにまったく問題のない子供に、これほど苦労しているお前たちに『同情する』」と。祖父は、ヘッセ少年の問題が、自分の望み通りのことしか認めようとしない、両親の過酷すぎる性格と生き方とによって生み出されたものであることを、いみじくも見抜いていたのである。

『生きるための哲学』 河出文庫 岡田尊司 P61

実はドイツ系のロシア人の父親とインド生まれの母親もかなり過酷な幼少期を過ごしているのですが、それを省みず子供にも同じような苦しみを与えてしまっている点は注目すべきかもしれません。

自殺を図った神学校時代

ヘッセは自殺のためにピストルを買った

受験に成功し無事神学校に入学したヘッセは、一転落ち着きを取り戻し順風満帆な新生活をはじめました。両親に宛てた手紙にもその楽しそうな様子が書かれていたようです。

しかしそれは見せかけのものにすぎませんでした

『車輪の下』の巻末で、翻訳者の高橋健二氏はこう解説しています。

「十三の歳から、詩人になるのでなければ、何にもなりたくない」という気持ちがはっきりしていたが、それがだんだん抑えがたくなってくるとともに、学校の詰め込み教育と規則ずくめの寮生活が彼の内心の欲求を抑圧した。それが「内面のあらし」となって爆発した。

『車輪の下』 ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳 新潮文庫 P225

この説明のとおり、ヘッセは神学校から突然姿を消しました。

すぐに保護されましたが、僅かな時間で別人のようになってしまっていたヘッセ。それから彼は不眠症やノイローゼに悩まされるようになり、学業を続けられる状態ではなくなってしまいました。

その後神学校を退学したヘッセは、母親の知人の牧師のもとに預けられます。が、そこで知り合った女性にフラれピストル自殺を図ろうとし、知的障碍者の施設(あるいは精神病院とも)に入れられてしまいました。

そこで予想外の回復を見せたものの家に帰ると再び状態が悪化してしまい、再度施設に送られます。ヘッセの状態は悪くなる一方で、憎悪の言葉綴ったうえで、ピストルを買う金を送れという旨の手紙を両親に送ったこともありました。

完全に手に負えなくなった両親は、ヘッセを以前とは違う牧師のところに預けます。

堕落した青年期

ヘッセは酒場に入り浸るように

するとヘッセはみるみる回復し、高校に転入学します(あるいは受験勉強を開始したとも)。

ところが学業に臨むと再び不安定になってしまい、教科書を売ってピストルを買うと、自殺を仄めかして母親を脅しました。

そしてついには学問を捨て悪友と酒場に入り浸るようになります

書店の見習いとして働いこともありましたが、わずか3日しか続きませんでした。

後日実家に戻ってからは、本を読んだり庭仕事をしたり歌(詩?)を作ったりして過ごしていたようですが、家族はそんなヘッセを疎んずるようになります。

両親はこの辺りでようやく神童としてのヘッセを見限ったようです

少しずつ前へ

ヘッセは工場で働き始める

やがて母親が病気になったこともあり、ヘッセは地元の町工場の見習工として働くようになりました。早めに就職した同級生はすでに機械工としてのキャリアを積んでおり、ヘッセは劣等感に苛まれます。まともに働くのも初めてのことなので、肉体的にも精神的にも苦しかったようです。

しかし同時に楽しさも感じられたらしく、意外にもこの仕事によって彼の心は安定を得ます。心身ともに健康になり、プライベートでは読書や詩作に励むなど、公私ともに充実した日々を過ごすことができるようになったのです。

そんな日々に充足を覚える一方で、ヘッセの心には再び迷いが生じ始めまていました。機械工をしている自分が、本来の自分ではないのではないかという悩みです。

それまでの経緯を考えると、機械工になることが彼の本意ではないのは明白でした。『車輪の下』によれば、当時のカルプでは学業に秀でた者以外は工場で働くのが一般的だったようで、結局のところ彼もその風習に倣って就職したかたちになります。

一度迷いが生じるとそれは強まる一方で、やがてヘッセは不本意なことをしている状況に耐えられなくなってしまいました。そのうちに頭痛や気分が落ち込むことが多くなり、ついに工場を辞めてしまいます。

本来の自分を見出し飛躍へ

ヘッセは夢をかなえるため書店で働き始める

ところが今回の辞職はそれまでとは違っていました。

町工場での1年3か月で彼は大きく成長しており、その時にはすでに自分のやりたいことがわかっていたのです

早速新聞に求職広告を出すと、反応のあった書店に見習い店員として入ります。その書店は神学校卒業後に進むはずだった大学の近くで、そこの学生に本を売るというのは再び劣等感を覚えましたが、今度は3年間耐え続けました

見習い期間を終えて自立したヘッセは、処女詩集『ロマン的な歌』を自費出版します。詩集は当初こそ全く売れませんでしたが、徐々に評判を得ていきました。

詩集出版が店主から目障りだと思われ職場を移ったり、母親から神への背信行為だとの非難を浴びたりと受難は続きますが、詩人ヘッセ評判は上がり続けます。(母親はその後和解する間もなく他界しています)

そして処女詩集出版から5年後、小説『郷愁』の成功でヘッセの文名は高まります。当時二十七歳でした。

人気作家となるも苦難が続く

ヘッセを再び苦難が見舞う

一躍有名となったヘッセは、9歳年上のマーリアと結婚し、ライン河畔の田舎で田園生活を始めました。長閑な生活のなかで、名作『車輪の下』をはじめとした多くの作品を生みだしました。子供も授かり正に幸せの絶頂を迎えたヘッセ。

ですがその幸せは長く続きませんでした。惰性的な生活に嫌気がさした夫婦は、世界各地を旅してスイスに移住しますが、その間にマーリア夫人が精神病を患い、苦悩したヘッセもノイローゼになってしまいます

それから間もなく第一次世界大戦が勃発。反戦を公に語ったヘッセは母国から裏切り者のレッテルを貼られてしまいました

文壇から締め出されたヘッセでしたが、その後もドイツ人捕虜を慰問する文庫のために献身的に働き、平和主義の姿勢を崩しませんでした。

またこの時、ヘッセの活動に共鳴したロマン・ロランとの友情が始まります。彼との親交は孤立したヘッセの心を癒したようでした。この関係は第二次世界大戦末期にロランが死ぬまで続き、彼の死後、ヘッセはロランに捧げるエッセイ集を出しています。

内面の追求の世界へ

ヘッセは自分の内面を追求する

大戦後、ヘッセは本来の自己となるために内面と向き合います

そうして誕生した『デミアン』を偽名で出版すると、それが敗戦後のドイツの青年に大きな衝撃を与え、新人賞を受賞するまで評価されました(ヘッセ作と知られ賞は返却)。

『デミアン』を境にヘッセの作風は後期に入ります。

ヘッセ自身、この作品にいたるまでは「世界と良い平和の中に生きてきた」と言っている。もちろん、『郷愁』に始まる前期の諸作にも、いかに生くべきかの深い悩みと現代文明社会に対する鋭い懐疑はあったが、ヘッセは詩人になろうという宿願に向かってひたぶるに生きてき、その努力が着々報いられていく幸福な世界に住んでいた。それが戦争によって根底からくつがえされ、彼は内的にも外的にもまったく平和と拠り所を失ってしまった。それを再建する第一歩が『デミアン』であった。つまりヘッセはここで転身したのである。

『デミアン』P217 高橋健二の解説より

ここまでの人生が平和であったのかどうかはともかく、戦争彼を取り巻く環境の変化は相当な衝撃だったようです。高橋氏はそれを「脱皮と転身」と表現していますが、ヘッセはそれまでと同一の自己でありながら新たな姿へ生まれ変わることに成功しました。この時42歳でした。

これを機に彼の創作意欲は増していきます。モンタニョーラで独居を始めると、小説だけではなく童話や水彩画も手掛けました。

自己の追及は境地へ

1922年、ヘッセが45歳の時『シッダールタ』が刊行されました。求道者が悟りの境地に至るまでの経験を描いた同作は、ヘッセの傑作のうちの1つと評価されています。

しかし作品とは対照的に、現実社会では物質的な利己主義が肯定されていました。ヘッセはそういった社会の風潮と自分の価値観とのギャップに懊悩し、その後の作品で現実社会や自分自身の矛盾、醜悪さ、虚偽などを描き出しています。

苦境を脱しついに安寧を得る

ヘッセは生涯のパートナーを得る

マーリア夫人と正式に離婚したのはこの時期でした。精神的に不安定な彼女とは共感し合える面もありましたが、次第にヘッセの負担ばかりが増えてしまい、いつからか重荷となっていたのです。

離婚が成立した後、ヘッセは20歳も年下の無名歌手ルートと結婚します。

再び人生のパートナーを得たヘッセでしたが、実際に寝食を共にするようになると、自己中心的でわがままな性格のルートとは根本的に合わないことがわかってきました。それに彼女には、ヘッセと結婚することで社会的ステータスを得たいという下心があったようです。 結局この結婚生活は3年で終わりを迎えました。

詩集『危機』では、ルートが与えた狂喜と幻滅に加え、その後3番目の妻となるニノンについて詠われています。

ヘッセがニノンと出会った時、彼女には夫がいましたが、夫婦生活はすでに破綻していました。ニノンもヘッセより20歳年下でしたが、教養があるうえに彼の熱心なファンだったため精神的な部分で理解しあっうことができたようです。やがて彼女の離婚が成立すると2人は結婚し、モンタニョーラの新居で生活を始めました。

ニノンは秘書としての能力にも優れており、実務面でもヘッセを支えます。彼女の存在の偉大さは創作にも表れており、ヒトラーの暴政や第二次世界大戦など混沌とする世の中で、『知と愛』や『東方巡礼』、『ガラス玉演戯』などの美しい傑作が刊行されました。中でも『ガラス玉演戯』は1946年のノーベル賞受賞の契機となった作品です。

彼女との結婚以降ヘッセの生活と精神は安定し、平穏な日々は生涯に渡って続きました。ヘッセは54歳にしてついに真の安寧を手にしたのです。

そのほかにも、老ヘッセは幾つもの大きな賞を得たが、痛風や眼病のため、大作を書くことを断念し、小品や詩に滋味ゆたかな人生省察を表現した。とりわけ、多くの読者に「ともに悩むもの」として心のこもった手紙を書き続けた。そして竹やつばきなど東洋の植物を庭に植え、禅に思いを寄せ、生きる術と死ぬ術を極める晩年を送った。しかも、最後に、なお一夏一冬の命を期待する生への執着を表白する詩を練り終えた夜、一九六二年八月九日、八十五年の一生を閉じた。

『車輪の下』P233 高橋健二の解説より

ヘルマン・ヘッセの生涯とアイデンティティ

苦労を乗り越えアイデンティティを確立することができたヘッセ。彼の生涯には2つのポイントがありました。

本来の自己と周囲の期待とのギャップを埋めたヘッセ

人間にはそれぞれ性(さが)があります。性はその人の生まれ持った精神的特徴なので、変えることはできません

しかし多くの現代人は、生まれてから常に「こうあるべきだ」という周囲の期待を暗黙のうちに背負わされています。

社会のステレオタイプになるため、自分を偽って生き続けるのは限界があります。ヘッセの場合、その限界が比較的早い時期に来ました。

苦悩の末、彼は「本来の自己が望んでいること」と「親や社会が望んでいること」を認識、区別することに成功します。そして自分の望みと社会生活を送るために必要なことの妥協点を見つけました

詩人になると決意し書店員になったヘッセ。働かずに実家で、あるいは機械工をしつつ、なんなら各地を放浪しながら詩を書いたりするのも詩人のかたちだと思うのですが、彼は劣等感を抱きながらも書店員として働く道を選びました。書店での仕事が比較的自分に合っていて、なおかつ詩集を出すのに有利だと考えたためです。

これが「本来の自分」と「現実」とのギャップを埋める彼なりの答えだったと言えるでしょう。

生涯に渡る自己の追及

詩人・小説家として社会的に成功したあとも、ヘッセの自己追及の旅は終わりませんでした。詩人になるという夢は、自己のほんの一部にすぎないからです。

自己は様々な経験を経て変わっていきます。

自然のなかでのんびり過ごしたこと。周囲の期待に応えるために自分を殺したこと。反抗、堕落、就職、転職、成功、結婚、離婚、再婚、戦争、友情。それら全てが糧となりヘッセをかたち作っていきました。青空に浮かぶ一かけらの雲や川面の光でさえ彼を形成する要素となっているのです。

アイデンティティを確立するためには、その時々の自己と向き合い、自分なりの答えを出していくことが大切だと言えるでしょう。