ヘルマン・ヘッセ『荒野のおおかみ』自分は普通じゃない。孤独を感じる人へ

物質の過剰に陶酔している現代社会で、それと同調して市民的に生きることのできない放浪者ハリー・ハラーを”荒野のおおかみ”に擬し、自己の内部と、自己と世界との間の二重の分裂に苦悩するアウトサイダーの魂の苦しみを描く。

『荒野のおおかみ』 新潮文庫 ヘルマン・ヘッセ著 高橋健二訳 裏表紙より

今回紹介するのはヘルマン・ヘッセの代表作の1つ、『荒野のおおかみ』。

ヘッセの作品はアイデンティティが重要なテーマになっているものが多いのですが、本作ではそれに加えて孤独とも向き合っています。

執筆時50歳に達していたヘッセによる自己の内部への探求は、人間の真髄を見事に捉えています。古い作品ですが、描き出された人間の本質はむしろ現代社会を生きる人間の心にこそ突き刺さるでしょう。

自分は普通ではない、故に孤独だ、と感じている方におススメしたい一作です。

「荒野のおおかみ」こと主人公のハリー・ハラー

孤独を愛する荒野の狼

本作の主人公ハリー・ハラーは自身を「荒野のおおかみ」と表現しています。彼は古い音楽や、詩、デカルトやパスカルの思想を愛していますが、一方で一般市民が好むような現代的なものの一切を嫌っています。故に激しい孤独を感じているのです。

こんな世の中のめざす目標など私は一つだって共にしはせず、こんな世の中の喜びは一つだって私にしっくりしないのに、どうして私はこの世の中のただ中で、荒野のおおかみやみずぼらしい隠者であってはならないというのか。

(中略)

私にとって歓喜であり、体験であり、陶酔であり、心の高揚でもあるものを、世の中の人はせいぜい文学の中で知り、求め、愛するのであって、生活の中ではそんなものは狂気のさただと思っている。実際、もし世の中が正しいとするならば、カフェーの音楽や、大衆娯楽や、あんなに安直なものに満足しているアメリカ的な人間が正しいとするならば、私は間違っており、気が狂っている。そうだとすれば、私はしばしば自称しているように荒野のおおかみだ。自分に無縁な、理解できない世界に迷いこんで、故郷も空気も食物ももはや見出さぬ動物だ。

P47~48

彼は世の中の「普通」を楽しめない自分を狂人とさえ思っています。そのため強い疎外感や孤独感に悩むと同時に、世の中に対する怒りも抱いています。

この作品はハリーの知人による序文と、ハリー自身が残した手記という形で構成されており、序文ではハリーの性質が客観的に説明されています。

それまでどんな人にも認められなかったほど高い度合いで非社交的でした。彼は実際、ときおりみずから名のっていたように、荒野のおおかみで、私の世界とは別な世界の、異様な、野性的な、そしてまた内気な、いやまったく内気な存在でした。もっとも、彼がその素質と運命にもとづいてどんなに深い孤独にひたり、その孤独をどんなに意識して自己の運命と認めていたかは、私は、ここに残されている手記によってはじめて知ったのです。

同書 P8

言葉にしていない深い孤独や内部の葛藤は基本的に他人には伝わりません。ただ非社交的に映るのみです。

外見に関する記述もされています。

りっぱな身なりをしていましたが、ぞんざいな着こなし方でした。顔はきれいにそっており、ごく短い頭髪のあちこちがすこし灰いろにちらちらしていました。彼の歩きぶりははじめのうちは私に感じよく思われませんでした。どこかたいぎそうな、あやふやなところがあり、それが鋭いどぎつい横顔に、また彼の話の調子や性質に合致していませんでした。あとになってはじめて私は気づきもし、聞きもしたのですが、彼は病気で、歩くのに骨がおれるのでした。

(中略)

最初から私の気に入ったのは、この男の顔でした。あの異様な表情にもかかわらず、それは私の気に入りました。たぶんいくらか独特な、悲しそうでもある顔でしたが、緊張した、きわめて思想の豊かな、勉強しぬいた、精神化された顔でした。それになお、私の気持ちをやわらげたのは、彼一流の丁重さと愛想のよさには、いくらか骨をおっているようすは見えたものの、まったく高ぶったところがないことでした。

P9、11

いささか異質な感じはありますが、ハリーの外見は決してそれのみで嫌悪されるものではありません。そして非社交的とは言われているものの、話す際の物腰は低く、むしろ好印象を与えています。

つまりハリーは自身を荒野のおおかみと称していますが、市民的な生活も充分に営むことのできる存在です。

しかし世捨て人でもなければ市民でもない、そのどっちつかずな生き方、性質が彼を一層苦しめます。

厳格な両親や教師によって個性を破壊し意志をくじく教育をされたハリーでしたが、彼は気位が高く強情で、しかも精神的な天分(芸術家としての感性や思考)を持っていたので、市民的にはなり切れませんでした。

社会の中にいながら異質の存在、それが荒野のおおかみです。

彼の個性を破壊するかわりに、彼に自分自身を憎むことを教えることだけが成功しました。こうして、彼は自分自身にたいし、罪のない気高いものにたいし、彼は終生天才的な空想や強い思考能力を残らず振り向けました。

P19

厳格な教育や大人が求める健全さの押しつけは歪みを生みやすいものです。

繊細で賢い彼は、その天分故に市民的になり得ない自分を憎んでしまいます。その苦しみは自殺願望を抱かせるほどでした。

魔術劇場の小冊子

自分を研究した論文

ある日彼は不思議な体験をします。

魔術劇場という謎の劇場のプラカード持ちから、小冊子を渡されたのです。

見ず知らずの人間から渡された小冊子の中身は「荒野のおおかみについての論文」でした。

つまりハリーについての研究論文です。彼はそれを読まずにはいられませんでした。

論文はハリーを実に冷静に分析していました。しかもハリー以上に彼のことを知っていたのです。

彼はその論文の内容に概ね同意しながらも、どこか引っかかるものを感じます。論文は悩める人間にとっては見たくない、痛い核心を突いていたからです。

やがてハリーは自分自身や人生に対する答えを、論文の出所である魔術劇場を求めるようになります。

魔術劇場を探す過程で出会った、ハリー同様市民社会的ではないものの、しかし荒野のおおかみでもない人々

彼らの存在によって、自身を異端なもの、他人と交わることのできないものと考えていた彼の胸中は揺れます

一連の不思議な出来事と出会いは「荒野のおおかみ」ハリーに何をもたらすのでしょう。

自分とは、普通とは、自己と孤独の深奥を描き出す

孤独の深奥を照らす

「自分はこういう人間」「普通はこう」

社会にはそんな表現が溢れています。

ですがその言葉は本当に真実を表しているのでしょうか

ハリー同様の孤独を感じている人はもちろん、現代社会に生きる全ての人々に勧めたい作品です。